イスラム発のエンターテイメントと「神秘主義」の深い関係


 自分はAFEEに加わる前、インドやネパールといった南アジアに住んでいました。日本人では珍しい体験だったと思います。今回は誌面をお借りして、その南アジアでのエンターテイメントの、ちょっと変わった話をしたいと思います。

 第二次世界大戦後にイギリスから独立したインドはヒンドゥー教が多数派の国ですが、そのイギリス植民地支配の前はイスラムの王朝である「ムガル帝国」が力を持っていました。インドでいちばん有名な建築「タージ・マハル」(写真1)もヒンドゥーではなく、ムガル帝国の皇妃を葬ったイスラムのお墓です。

タージマハルはイスラム建築(写真1)

 このムガル帝国が最終的に滅びるのは1858年。日本がちょうど幕末の頃で、インドや日本の長い歴史を考えれば、それほど大昔でもありません。そして当時のインドではムガル帝国以外にもヒンドゥーと並んでイスラムの地方王朝も林立し、宮廷文化の華をあちこちで咲かせていたこともあって、今もヒンドゥーに加えてインド・イスラムの文化も濃厚ですし、現在も少数派(といっても二億人近く。インドから分離したパキスタンやバングラデシュを加えると五億人以上)のイスラム教徒(ムスリム)が存在感を示しています。

 でもインドのイスラムは伝統的で、かつ地元独自の民間信仰が混じったような、穏和な「神秘主義」(スーフィズム)の色が強いものです。イスラムに限らずどの宗教でも神秘主義は、絶対者(イスラムならアラー)と一体になり、たとえばトランス・恍惚状態に入るような修行体験を重視しますが、イスラムにはそのために延々と回転旋舞して踊る教団もありますし(写真2)、一見すると苦行にも見える奇妙な行為をします。

メヴレヴィー教団の旋舞(写真2)

 ところが、この「奇妙な行為」が、やっぱり人目を惹きましたからでしょう、ここからイスラム風のエンターテイメントが派生しました。たとえばインド・イスラムでの民謡というべき「カッワーリー」です。もとは伝統的なインド(現在のパキスタンを含む)の西隣にあるイランのペルシャ文化の影響を受けて生じたスーフィズムの宗教音楽で、本来はイスラムと民間信仰が混じった聖者信仰のなか、その霊廟(聖者廟)で演奏される音楽なのですが、インド・パキスタンであまりに人気が出て「イスラム風歌謡」として庶民大衆に受け入れられ、インドの主要な音楽ジャンルに数えられるまでになってしまいました。ヒンドゥー教にも神秘主義があり(バクティ信仰など)、イスラムと相互乗り入れでお互いの聖者の霊廟を参拝したりしましたから、共通のスピリチュアルな土壌があったのですね。そこには現在イメージされがちなイスラムとはちょっと違い、宗教の枠を超えて「神秘」を追う、寛容さがありました。

 しかもこのカッワーリー、伝統音楽としてだけではなく、なんと新曲が続々とインド映画に登場しています。なかでもヒットしたのは2005年の詐欺ものコメディ映画「バンティとバブリ(Bunty aur Babli)」のクライマックスに登場した「KajraRe(カジュラー・レー、「黒い瞳」みたいな意味)」。1994年ミス・ワールドのアイシュワリヤ・ライが見事な舞踊を披露する七分ほどの公式動画が YouTube にありますので、ぜひ検索してみてください。日本ではほとんど知られていませんが、この「KajraRe」、全世界で六五〇〇万回も再生されているのです(ほかにインド映画の曲では一億の再生回数を誇るものもあります)。日本のアニソンの最多再生回数が『涼宮ハルヒの憂鬱』の「God Knows…」の五八〇〇万回だそうですから、質・量ともにジャパニメーションのライバル、好敵手といってよいのではないでしょうか?

 しかしここからちょっと難しい話になりますが、ここ数十年はイスラム世界でも復古の発想が強まり、そのなかでこれまでの「他宗教他信仰と混じった」スーフィズムより、コーランを一字一句なぞるような「純粋な」いわゆる原理主義が、反欧米(=反キリスト教圏)・反イスラエル(=反ユダヤ教)・反インド(=反ヒンドゥー教)といった「アンチの思想」の柱となり、力を持ってきました。原理主義は他宗教とのあいだでお互いの霊廟を訪れるような神秘主義を「純粋でない」として異端視しますし。とても不幸なことだと、自分は思います…宗教というのは毎日のように国際ニュースで流れる対立や紛争の源泉ばかりでなく、本来ならば超宗教で「神秘」に取り組むような、大きな力を持っていると思うのですが。カッワーリーもイスラム発祥ながら、女性と男性の神秘的な楽しみなどを通じて超宗教の大きな力に触れていこうというのが、隠れた大テーマなのかもしれませんね。

 そして、KajraReそのものはイスラム発のカッワーリーながらヒンドゥー等も含めた全インドへ、そして世界へと、超宗教というだけでなくマルチエスニックに広がっている音楽。まさに名曲は思想や信仰を超える好例です。こんな風に、それぞれの文化が個性や自己主張を持ちながらお互い認め合い広がりあい共存する、寛容寛大な社会が自分の理想です。AFEEに加わった理由も、そういう社会を作って行きたいからです。

 そんな寛容寛大な社会はかじ取りも難しいでしょうけどね(ポリティカル・コレクトネスとか、最初は寛容寛大のためだったはずなのですが、どうしてあんな窮屈なものになってしまったんでしょう)。そこで合理性ばかりでなく神秘やロマンを、文化宗教を超えてマルチエスニックに共有しエンターテイメントを楽しみあうことで、そんな寛容さを支えられれば、と思います。これをもとにして「お互いを尊重しあい穏やかに過ごす」世の中を実現していけるのではないか?…そんなことまで、自分は考えてしまうのですが、神秘やロマンと、エンターテイメントや社会の関係について、皆さん立ち止まって、考えてみませんか?

(AFEEマガジンvol.7より転載 作:にしかたコーイチ)