あと「児童のレンタル」もあったね。
大人でも乳幼児を抱えていると、稼ぎがいいと。
そこがあざといから友人は
「乳幼児連れは嫌いだ」といってたよ。
そして特にタイだと、
下手に慣れない外国人が助け出そうと目立つ動きすると、
マフィアに銃撃される。
彼らもわかってて、最初は脅しの銃撃から始めたり。
これ「どっかの話」でもなく、バンコクで
いつも遊んでた悪友がラオス国境のほうに遊びに行ったとき、
バスに自分たちと、タイ人の乗客1グループが乗ってて、
到着地でいっしょに降りたら、そっちのタイ人乗客がとたんに銃撃され、
その場で殺されたんだか重態になったんだか。
確認できないのは、関わると自分たちも撃たれかねないから。
すぐ逃げたそうだ。重ねていうけど、親友の実体験だよ。
だからそれこそ問題として関わるには、マフィアの暴力に
対抗できるような、タフな交渉力が不可欠なんだ。
これもまた、アンダーグラウンドな世界。一朝一夕にはできない。
ECPATの本部はバンコクだけど、
そういう暴力と対峙して活動してるんだよね。
そこは本当に敬服する。
映画『闇の子供たち』を連想するかもしれないけれども、
あれもタイで評判が極度に悪く、
バンコク・プレミアが中止に追い込まれた。
理由は日本では「タイに都合が悪いから」と理解されたけど、
現地にいてわかるのは、それは全然違う。
タイ側のタフな努力をぜんぜん描いてないし
(単純に「可哀想な被害者」として扱う)、
そもそも移植のために「心臓を取る」とか即死なわけで
(腎臓を取る話は多いけど)、そんな下手なことは、
インテリな病院では絶対しない。
(そんなことしたら、さすがのタイでも大問題。
心臓移植は高度医療だし)。そこをさも「可哀そう…」と
描くのが先進国目線で、失礼だから。
実態に即しているようで、じつは離れている。
そこがタチが悪いわけだ。
日本ユニセフ協会は褒めて推奨してたようだけど。
ただ海外事情って、それだけで読まれにくいし、
信じてもらえにくい(そもそも海外ってだけで
「得意/不得意」が割れる)。
だから「こんな幼児への虐待漫画に
モデルがいないはずが無い!」って空気、
自分はわかるし、それが国際圧力になるから難問だし、
それに対して論理的に説得できず感情的な反発の応酬に
なるのもわかるし、それ(海外への「不得意」)が
安易なナショナリズムと結びつくから、
またまた難問。保守系でも進歩・リベラル系の人でも同じで
「無自覚なナショナリスト」とはなかなか話が通じず閉口。
特権とかいわないで、お互いそれぞれ長所があるんだから、
リスペクトしあえばいいじゃん。それが「個性」じゃん。
とりあえず自分の経験からは、このくらいかな。
おじさんも専門じゃないから実体験以外は言いにくいし、
かといって日本の専門ジャーナリストがタイに行っても
見当外れになるし(それこそ『闇の子供たち』みたいに)、
でも加害者は欲望(性、カネ)のために軽々と国境をまたぐ。
ここをどう統合するかが、むずかしいんだよねぇ。
ずっと体感してきたことなんだけどね。
文責 にしかたコーイチ