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東京都の性教育がやっと変わる ―14年ぶりに改訂された「性教育の手引」

投稿日:2020年6月15日 更新日:

エンターテイメント表現の自由の会 編集委員 中谷基志

2019(平成31)年、東京都では14年ぶりに「性教育の手引」が改訂されました。

これまで東京都の性教育と言えば、性知識を教えない隠す教えると罰を受けるというような否定的な印象がありました。
過去の性教育の否定の議論は、マンガ・アニメ・ゲームの表現の自由から見て「性的なことをタブー視する」「特定の道徳や倫理観を押し付けようとする」という点で問題です。
何より東京都の不健全図書指定制度や、青少年健全育成条例の厳格化を推進する立場を後押ししてきた考えと、性教育の否定の議論は大きく重なっているように見えます。
また、中学校の段階で、さらに高校になっても性についての知識を教えないと、その後大人になって性教育を受ける機会はありません。その結果、これまで14年にわたって性知識のない大人が世の中に送り出されてきたことになりますが、その問題については考えないという姿勢には疑問があります。

そこで今回、「性教育の手引」はどのように改訂されたのか、2004-05(平成16-17)年に改正された旧版の「性教育の手引」を振り返りながら、見ていきたいと思います。

今回読んだ資料

東京都教育委員会「性教育の手引」2004-05(平成16-17)年改訂版
 小学校編 中学校編
 高等学校編 盲・ろう・養護学校編
東京都教育委員会「性教育の手引」2019(平成31)年改訂版

2019年の新版「性教育の手引」

まず最新のものを読んでみることにしました。「性同一障害」「SNS」「低用量ピル」「性的指向・性自認」「いろいろな人の生き方を尊重」と、まずまず時代に合ったテーマが取り入れられています。
印象としては、穏当な内容でした。「これは問題だな」と思うようなところもなかったけれど、「これすごくいいですね」とほめたくなるところもあまり見当たりませんでした。
しかし、改訂に関わった議員の方からは、「大変だったんですよ」「寝た子を起こすなの大合唱で」と苦労があったことを聞いていました。寝た子を起こすなというのは、児童・生徒を性に関する知識から遠ざけて、性的な問題を回避できる/したいと考える立場の主張です。
やはり前のものと比べて読まないと本当の価値がわからないのだなと思い、2004-05(平成16-17)年改訂版を読むことにしました。

ところが、旧版の「性教育の手引」は、東京都のサイトで公開されているわけではありません。
前のものを見せてほしいと東京都教育委員会に問い合わせをしたところ、東京都では公開しておらず都立図書館に置いてあると言われました。しかし2020年の新型コロナウイルス騒ぎで図書館も閉まっていて、なかなか現物を見ることができません。
そこで、とある議員事務所のお世話になり、国会図書館の資料のコピーを入手することができました。

2004-05年の旧版「性教育の手引」

やっと手にした2004-05(平成16-17)年改訂版は、小学校編中学校編が2004年に、高等学校編盲・ろう・養護学校編が2005年にそれぞれ発行されています。
まずは小学校編、中学校編から順に読んでいきました。

とにかく冒頭から目につくのは、「逸脱した内容を教えるな」というメッセージです。
決められた内容以外のことを教えてはいけない。補助教材を使う場合には、校長は14日以上前に委員会に届け出なければならない。
かなり強い制約を課していたのだなと思いました。

社会に対しては「近年の性情報の氾濫」「十代の性を商品化する社会」「家庭の教育機能の低下」、児童・生徒に対しては「性的逸脱行為等の増加」「より一層道徳性や倫理観を強固に」という論調で、「悪いダメになった社会のせいで子供がダメになっている、それを特定の道徳や倫理を教えて正してやる」という世界観が大きく入っているのだなと思いました。
また、「男性または女性としての自己の認識を確かにする」「性的同一化を図る」などの言葉を見ていると、人間は女性か男性のどちらかで、女性にはこういうアイデンティティ、男性にはこういうアイデンティティ、というように教えたいのだろうなと感じました。

そして、性感染症のページでは「エイズ」のことが何ページにもわたって書かれています。エイズ。とにかくエイズ。
2004年発行という時期から考えるとそれも仕方がないのだろうかと考えましたが、世界でAIDS=後天性免疫不全症候群が大事件になったのは1980年代以来。日本で「エイズパニック」が起きたのが1986年ごろ。薬害エイズ訴訟が集結したのが1996年。2000年代に入り、HIVに感染しても発症を抑える治療法が確立されてきていると考えると、時期的にはやや合いません。
もちろん、現在でもHIV感染のリスクはあり、子どもたちにも知っておいてもらう必要はあるのですが、子どもに対する脅しとして「エイズパニック」の名残りを性教育に持ち込んでいたのだろうか、とも思えました。

中学生には、コンドームというものがあって、性感染症予防には有効であると教えつつも、使い方は教えてはいけないと手引には書かれています。
医療や保健衛生関係者からリスクを回避するためのコンドーム装着指導を求める声があることに対して、学校は児童・生徒の「人格の完成」を目的とした教育機関だからコンドームの使い方は教えないのだといういささか苦しい説明も書かれていました。

旧版の高等学校編には大きな問題

次に2005年刊行の高等学校編盲・ろう・養護学校編を読んでみたのですが、2004年刊行の小学校編、中学校編では見られなかった内容がいくつかあり、これにはかなり問題があったのではないかと感じました。
一部の学校で学習指導要領や児童・生徒の発達段階を踏まえない性教育が行われている実態がありました」「個人的な思いや一部の偏った考え方によって行われるようなことがあってはなりません」と冒頭から強い言葉で、踏み出したことを教えないよう求めています。
性情報が氾濫しているため、高校生の道徳、価値観、性倫理観にも悪影響を与えている」「望ましい道徳性・価値観、性倫理観を身につけるようにする」という世界観は小学校編、中学校編とも共通です。

「都立盲・ろう・養護学校経営調査委員会報告書から」という項目では、見開きで、2003年の七生養護学校事件について「組織的に行われていた不適切な性教育」だったとする内容が書かれています。七生養護学校事件は、一部の都議会議員が養護学校の性教育の内容を問題視して議会質問を行ったり、養護学校から資料を持ち去るなどし、最終的には裁判で議員らの行為が不適切であったことが示されるなどした一連の事件です。この事件について、2019年に改訂されるまでの14年間、教育内容を問題視した側の一部議員の主張が、学校で性教育を行う際の公的な取り決めの文書に書かれていたということになります。

「性教育において使用する教材・教具についての考え方」では、「家族や近親者からの性的虐待を取り上げ、児童・生徒の日常生活においていたずらに不信感や不安をあおることにつながるビデオ等の視聴覚教材」は不適切であるとしています。子どもに対する性暴力の大多数を占めるのは家族や近親者、教員のような、子どもに近い上の立場の者からのものであるのに、それは「日常生活においていたずらに不信感や不安をあおることにつながる」から教えてはならないとしているわけです。

苦しみの果てに生み出された(であろう)旧版「性教育の手引」

一方で、旧版「性教育の手引」には、興味深い内容もたくさん含まれています。
ミルトン・ダイアモンドなどを典拠にセクシュアリティの議論を説明した箇所(そこでは性自認や性的指向などの言葉が一瞬登場します)や、「戦後の「性教育」の考え方の経緯」のコラムなど、新しい考え方や客観的に歴史を振り返る姿勢も見られます。

「悪い社会でダメになった子どもに、特定の道徳性・価値観・性倫理観を持たせよう」という世界観である一方で、男女平等にして性差別をなくしたり、固定的な性役割を見直そうという箇所もあります。これは1999年の男女雇用機会均等法改正を踏まえて盛り込まれたものだと思います。旧版「性教育の手引」には、相容れることが難しそうな異なる考え方が同居しているのです。
想像するに旧版の改訂時には、七生養護学校事件からの圧力となんとかまともな性教育を維持したいという現場の間で、大変な議論と妥協が行われた結果、この「性教育の手引」が生み出されたのではないかと思います。

「性教育については、保護者や地域社会の受け止め方や、考え方は極めて多様」「家庭や地域からも理解の得られる適切な性教育」という言葉が繰り返し登場しているのも、とにかく東京都教育委員会が性教育に対して外部から非難されることを警戒していたことが感じられます。

改めて新版「性教育の手引」を見る

こうやって旧版を見てから新版を見てみると、新しいテーマをきちんと盛り込みつつも、そのそつのなさ、引っかかりのなさがすごくよくできているのではないかと思うようになりました。
旧版の「逸脱するな」という圧力や七生養護学校糾弾、あれを教えてはいけないこれを教えてはいけないという記述、特定の道徳性・価値観・性倫理観を持たせようとする要求は、教育現場をひどく萎縮・混乱させてきたことを想像させます。
この旧版が2019年に改訂されるまでずっと教育現場に影響を与えていて、すでに裁判でひっくり返ったはずの七生養護学校の事件について14年前の一部の主張がずっと残っていたことは、大きな問題だったと思います。長い期間、おそらくタブーとなってきた問題を見直すことができたのは、議会勢力の一新という機会をよい方向に生かした出来事だったと評価できると思います。
2020年7月の都議会議員補欠選挙では、七生養護学校事件の当事者でもある、逝去された古賀俊昭議員の議席の後任者が選ばれることになります。古賀議員は2018年にも足立区の区立中学校での性教育の内容について都教育委員会に調査させるなどの活動をされています。いろいろな意味で、時代の大きな節目となっているのではないかと思います。
今回、さまざまな旧弊を跳ねのけ、新しい「性教育の手引」の発行にこぎつけられました東京都議会、東京都教育委員会のみなさまには、感謝を申し上げたいと思います。

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