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私たちは消された展をAFEEメンバーが語る!

こんにちは。編集委員、うどんのでんすけです。

2月17日に「私たちは消された展-凍結削除警告センシティブな内容を含みます-」に行ってきました。トークショー狙いで最終日にしました(ドヤ)

トークショーは参加アーティスト同士の他己紹介、制作裏話、質問タイムの流れで進みました。
皆さんに共通するのは「表現したいものを表現する」「モデルさんや鑑賞者が嫌がらない作品、幸せになる作品を創る」という姿勢でした。

「撮影や制作の後、いやらしい気分になるか?」という話題も。

「ある。絵にしたいと思うとアート、そうでければポルノ」

「興奮するとポルノに寄る」

「自分が興奮するものでないと撮りたくない。エッチだと思うものを撮りたい」

「アート、ポルノ、エロ線引きしてない、時代で変わるから受け手の問題だと思う」

など、様々な回答が挙がりました。非常に興味深かったです。

 

トークの後は、お待ちかねの作品堪能タイム。
マキエマキさんは昭和B級エロをテーマにしています。世代が違ううどんにも伝わる昭和感。

その他の作品は……

身体の曲線が美しい……緊縛はそそる……‼︎モデルさんへの想いが滲み出ているぞ‼︎
※本ブログには刺激が強すぎるので感想をお楽しみください

図録は完売、最終日の購入者は郵送となりました。ちなみに、3月のAFEEちゃんねるで坂井編
集長がお見せしていた図録はうどんの私物ですw

帰り際には運営のコアメンバー、酒井よし彦さんとお話できました。結構表現の自由とは違う
話題もお話いただけて楽しいひと時を過ごせました。

酒井さん曰く「展示会のタイトルはあるイベントのパロディ」とのこと。お気付きになりまし
たか?(うどんは言われて気付きました)

主催・運営の皆様、ありがとうございました‼︎

参加者による対談

司会:今日は「私たちは消された展」の座談会ということで、よろしくお願いします。お三方は展覧会を見に行かれたんですよね。まずは、それぞれ自己紹介をお願いします

坂井崇俊(以下、坂井):編集長の坂井崇俊です。実は今、朝9時で2時間睡眠の僕の発言は安定しないかもしれないですが、よろしくお願いします。

うどんのでんすけ(以下、うどん):編集委員のうどんのでんすけです。週末朝はキッズアニメのために早起きして元気、ジャンルとしてエロも好むスタンスです。よろしくお願いします。

藤間紫苑(以下、藤間):編集アドバイザーの藤間です。今回は写真家・酒井よし彦さんのTwitterでこの展覧会を知りました。「消される」ことを初めて知ったのは書店員時代の1988年、絵本『ちびくろサンボ』が黒人への「配慮」で消えた時です。その時、あらゆるメディアから「黒人」が消え、自主規制によって「消される」恐ろしさを知りました。宮崎勤事件(1988-1989年に起きた東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件。逮捕は1989年)でロリコン雑誌の多くが休刊したのと同時期です。

坂井:え、書店員だったんですか、知りませんでした(笑)確かに「ちびくろサンボ」は小さいときから好きな絵本の一つでしたし、大人になって今は発売されていないということを聞いて愕然としました。当然、若い子と話をしたら、知らないわけで。。。うどんさん、ちびくろサンボって読んだことある世代?

うどん:いいえ。題とそのような経緯で消えたことは知っていますが、悔しいことに読んだことはないですね。

藤間:ウィキベディアを参照したのですが、日本では1988年に抗議運動が起こり、岩波書店が絶版にしていますね。その時期、『ちびくろサンボ』という本だけではなく、TV等のメディアから黒人が「消えた」のを覚えています。黒人差別禁止を叫んだ結果、黒人がメディアから「消された」。現実の黒人は日本に沢山いるのに、メディアにはいなくなるという衝撃的な時代でした。書店員的にはショックでしたよ。

坂井:出版社の自主規制だったんですよね。消費者という立場に立てば、あんな、良書が知らないうちに世の中から消えて読めなくなってしまう。そして、うどんさんのように知らない世代の人は、一生知らないままになってしまう。考えてみると、こういった「消されてしまうこと」というのは非常に恐ろしいことですね

うどん:私たちも、記事を読んでいる皆様も、恐怖をこの瞬間に体感しているわけです。

藤間:自主規制は「黒人差別をなくす会」からの抗議だったようです。『ちびくろサンボ』というのは黒人少年が結果的にトラに勝つという話なんですけど。今、ストーリーをチェックしたところ、少年がトラに脅され、服などを奪われるというのが差別的という認識だったのかな? でも最後にはバターになったトラをサンボはパンケーキにして美味しくいただく話なんだけど。

坂井:サンボという名前が差別的だったり、黒人を面白おかしくかいたところが差別的と解釈されたんだろうね。「ちびくろサンボ」は元々のおいたちをたどれば人種差別ではないんだけど、どこの解釈の違いか、差別的な本と認定されてしまう。解釈によって、こうも変わってしまうんですよね。最近話題になっている「文化の盗用」って考え方があるけど、日本人の中で、欧米人が和服を着たところでそれを盗用と感じる人はあまりいないのに、それを叩かれるような状況と似てますよね。ちょっと、本題からずれました。

うどん:表現物が消される恐ろしさは、単純に表現を楽しめなくなるだけでなく、歴史を曲げられる点にある。読み手の皆様にはこれを踏まえて記事を読んで頂ければと思いました。

 

司会:そうですね。そろそろ本題の「私たちは消された展」の方に戻したいと思います。皆さん、見に行かれての感想はいかがですか。

坂井:Twitterでも書いたんだけど、みんなが垢BANの回数を自慢し合ってて、それが面白かった。私3回消された。いや、合計10回だ。まだ消されてなくて・・・。みたいな。何か厨二的(失礼!)な気がして。でも、表面ではそうは言っているけど、表現する人にとって表現する場を奪われることは、非常に影響の大きいことなんだよね。

うどん:そうですね。私は作品のエロさに興奮しました。しかし下品さはなく、背徳感や美しさ、モチーフへの愛や敬意を感じました。また、最終日のトークショーにも参加しました。質問に答えていただけたこと、その回答がしっくりくるもの溜飲が下がる想いでした。

藤間:私はカメラマンたちが「日本の慣例・出版界の自主規制レベルの消しをしている」のに、大手SNSサイトが自らの自主規制レベルに合わせ、作品を「消した」ことに衝撃を受けました。

坂井:僕のTwitterも今現在(3月17日現在)、アカウントのセキュリティ設定がデフォルトのままだと、僕の画像付きTweetが表示されなくなってるんです。僕の発信した内容が、届けたい人に届いてないのかなって思うと非常にもどかしい気持ちです。山田さんやマンガ論争の永山さんですら制限されてないのに。(画像参照)

藤間:セキュリティレベルによって読めなくなっているって、かなり困りますね。

うどん:セキュリティ設定とゾーニングとレーティングに相違はありますか?

坂井:それは、わかんない。セキュリティレベルという表現が間違っているのかも。Twitterに聞いて(笑)

うどん:キリスト教圏の企業なので、日本人的には興味深い回答が返ってきそうですw

坂井:Twitterには回答する窓口がないのよ。だから、回答は来ない。特に変な画像のTweetしてないのに。。。また本題からずれた。ごめん。

 

司会:はい、そうですね、編集長話題をずらさないでください。ゾーニングによる自主規制の話でした。

藤間:企業が自主規制レベルを決めるのは仕方がないと思うのですが、大企業による中小企業殲滅が起きた後に広範囲自主規制をされると、クリエイターには死活問題になってしまう。コンビニが小さい書店を殲滅した後に、成人誌ジャンルの雑誌を一斉に置かなくなると、雑誌自体が「消える」。実際に消されている。休刊に追い込まれています。

うどん:確かに、10年近く前にあった雑誌が、今は数多く無くなっています。また、トークショーにて「(この展示会は)ギャラリーに断られ続けた。ヴァニラ画廊ではまんこの表現ができないため」と言及されています。

藤間:ヴァニラ画廊、内臓は良くても、まんこNGなんだ。グロはよくても、エロはダメなのね。

坂井:基本的には画廊は自分から望んだ人しか入らないけど、コンビニでの雑誌の表紙やSNSでの写真などは不意打ち的に目にしてしまう可能性があるから、より判断は難しくなるよね。

うどん:見たくない方、触れさせるべきでない子どもの目につかない名目で自主規制が展開されたはずなんですよね。ところが、近年は専門店のようなある意味ゾーニングされた場所で「この表現は良くない」と乗り込んでくる層が現れました。
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藤間:日本はゾーニングという概念を論じないまま自主規制したから、ゾーニングの意味がわかっていない層とか、いそう。

坂井:ゾーニング論についてはAFEEマガジンvol.10でも議論になったけど、人によって考え方がいろいろ違って面白かった、いや、面白いといったらダメなのかも知れないけれども、ネット社会が深化する中で考えていかないといけない課題だよね

うどん:ですね。ゾーニングとは話題が変わるかもしれませんが、トークショーで登壇されている皆さんに「性描写を嫌う人は一体何を思っているのだろうか」という質問をしました。目につかないよう仕切ったはずの場所に敢えて乗り込む層は、表現自体を消したいと感じていらっしゃるのではと思いまして。
その質問に対して以下のようなご回答をいただきました。

酒井よし彦氏
エロ嫌いの方はお母さんをまんこに殺されたのだと思う。
ただ性的要素のある写真を撮るカメコとプロの違いは被写体への敬意、尊敬の有無である。

フクサコアヤコ氏 ※心理学科卒
幼少期の教育、刷り込み、呪いに囚われる人は多い。それらを解放するきっかけとして撮影している

遠見一彦氏
性表現を見ているところを人に見られるのが恥ずかしいのだと思う。
そして、自分は身近な人が被写体だったら心苦しい。そう感じることで嫌がる人の気持ちが少し見えた。

うどん:回答いただけて嬉しかったです。ありがとうございました。他にも「自分の子どもの写真を公開すると虐待というよりも児童ポルノ扱いになる恐れがある。写真の拡散リスク、写真が親の意志の及ばない領域に行くのが怖い」という話題が出ました。幼少期の刷り込みに囚われる話は、教育面、性と宗教の側面で価値観が更新されなければとらわれるのは必然とも感じました。

藤間:幼少期の刷り込みは各家庭や学校教育も地域によって違うよね。今だと子ども時代、海外に住んでましたという人も多いし。多分ガッチガチなイスラム右派国から日本に来たら表現の自由さに驚くと思う。

坂井:ひとくくりでくくっていいのか分からないけど、特に性的なものについては、”キリスト教的価値観”と我々の間では大きく違うよね。もちろん、イスラムのそれとも違うんだけど、プラットフォーマーはグローバルだから、そういった多くのプラットフォーマーが本社を置くところの価値観である”キリスト教的価値観”を一律に当てはめてもらっては困るというのがやはり、ユーザーとしての意見だよね

うどん:自主規制問題で意識する対象が、公権力・政治的正しさから企業・感情や宗教観に変わっている気がするのは多くの方が語っていますね。互いの領分を侵さないゾーニングで手打ち、存在は許容する。宗教ではそれが通用しない部分があり、ややこしいです。

藤間:宗教はなぁ。いろんな価値観がある。でもそもそも宗教者には「ゾーニング」という概念がないのでは。私はキリスト教者ですけど、ゾーニングとか教会の人達の中で聞いたことがありません。そもそも性表現が全部、悪だし(笑) 子どもとか大人とか関係ないし。「ゾーニング」という概念があるのは子どもに性的なものを見せたくないという自分勝手な保護者でしょ。

うどん:「見られるのは恥ずかしい」の発展として「親としては自分の子が性表現を見てる事実を、そして親が目にしてしまうと恥ずかしい」……居てそうです。

坂井:皆さん、保護者に厳しいですね。僕は、恥ずかしいのも理解できるし、ゾーニングしたいというのも保護者の教育の範疇だと思う派です。もちろん、年齢に応じて子どもの権利にも配慮、というか多くの場合、優先すべきは子どもの権利だと思いますが。

藤間:子どもにどこまで教えるか、というのでゾーニングは一括削除でくるから怖いんですよね。例えばLGBTという言葉が多く流通していなかった時代のインターネットでは「レズビアン」や「ゲイ」という言葉がゾーニングされていて、インターネットのセキュリティレベルを上げるとネットから性的マイノリティーが消えるんですよ。性的マイノリティーである私の存在が消える。多分、今でも「レズビアン」や「ゲイ」で子どもが検索すると、出会い系やバーではない、悩みを打ち明けたりするコミュニティーサイトも一緒に子どもの目から「消える」。子どもが悩んでいて、親にも誰にも相談できない問題がネットからも消えて、少数者どころか「いないもの」とされる、というね。最初に言った『ちびくろサンボ禁書事件』と同じ現象ですけど。

うどん:恐ろしいとしか言葉が出ません。助けを求める人が適切な場にアクセスできなくなるのは問題です。ですが、私は坂井さんの立場も分かります。そして、年齢ー厳密には個人の発達段階ーに応じた刺激が受けられるようにするのが適切と考えます。

坂井:家庭でのゾーニングと社会でのゾーニングは分けて議論しないといけないと思っています。ただ、藤間さんが言っている子どもの人権にダイレクトに響くものはどう考えるかは悩ましいところだよね。社会でそこをサポートできる体制がいいのかなとは個人的に思っているけど

藤間:例えば「レイプ」も調べていないけどゾーニングワードに引っかかるんだと思うんですよ。創作投稿サイトなどではゾーニングワードになっていますし。でもレイプ被害者はいる。最近では「性的被害を受けたらこちらに電話してください」というメモやポスターがトイレに貼ってあります。それに性的少数者も入れて欲しいですけど、全国のトイレに置くには資金が足りませんし、サポート先の人材や資金も足りません。だから皆で性被害者を支え合いたいのに、ゾーニングワードに入れられると一括排除されてしまう。被害者や悩む少数者と「エロワード」が重なってしまうと、何も考えないでゾーニングワードに入れられてしまって本当に困ります。性的少数者についてはいろいろ意見はありますが、LGBT、もしくはLGBTQという文字ができた時、私は嬉しかったですよ。それでもゲイやレズビアンは弾かれますが。

坂井:なるほど。正直、そこまで深く考えたことはなかったです。そういえば、子どもの頃、自分自身の悩みはありましたけど、ネットがない中でどうやって解決していたのだろうか、疑問です。

うどん:私は思春期の悩みは親への相談かネットで解消しました。また、ゾーニングワードによる排除は持っている語彙が少ない層にとっては支援に繋がるには致命的な気がします。語としてレズビアンを知っててもLGBTQやSOGI(性的指向と性自認)を知らない人はいるだろうし。単語についても、運用の結果NGワードになるのであり、元々語自体が罪を負っているわけではないと思います。

藤間:本当、語、自体には罪がないですよね。でもフィルタリングに語が入ってしまうと、子どもはその言葉が使われているサイトに行けなくなってしまいます。今回の「消された展」で弾かれたのは語ではなく画像フィルタリングです。美術画には沢山ヌードが描かれているわけです。結局「認められている巨匠」と「認められていない若手」という権威があるないで子どもが見てもいいもの、見てはいけないものに分けられる。

坂井:そうだよね、今回Twitterがガイドラインを変更して、こういったデジタルプラットフォーマーと言われる事実上のプラットフォームとなっている私企業が基準をオープンな議論なしに決めてしまうのも問題だよね。しかもこれは、こどもだけの問題ではなく、大人にも関係する問題になる

うどん:権威の有無による線引き、私企業による線引き、これは法により解決を図れるのでしょうか……?性表現も好むので、無い世界で生きるのは個人的には苦しいです。

藤間:私も性表現を好むので、性表現を排除した世界は苦しいな。最近、小説無料UPサイト(小説家になろう、pixiv等)の18歳未満禁止ポリシーが厳しくて、小説を未成年の同性愛者に読んで貰いたくても、性表現があるとアダルトコンテンツにチェックを入れたり、アダルトサイト系サイト(なろう系ノクターン等)に載せなければならなくて辛い。まぁ、自分のサイトにUPすればいいのだけど閲覧数が二桁違うから、どうしても無料サイトを使わざる得なくて辛い。紙書籍だと小説に18禁概念はないのだけど。挿絵・イラストにはあるみたいなんだけど。

坂井:表現する人にとって、それを表現する場がないことは本当に辛いことだよね。表現の自由を支える根底には表現を発表する場があることが前提にあるからね

藤間:今回の「私たちは消された展」、また同時期のコンビニ成人誌一括排除の問題点は、SNSサイトや雑誌を売るコンビニなど、大手企業による寡占と、それらが性表現をまるっと消したところにあります。性表現の自主規制を拡大した。大企業やグローバル企業が「表現」のさじ加減を手に入れた時、こんなに沢山の表現が簡単に消されるという現象に私は呆然とし、同時に怒りを感じました。

 

司会 そろそろまとめの時間になのですが、この対談を経て「私たちは消された展」やプラットーフォーマーによる垢BANなどについて一言ずつお願いします

藤間:私は一部性表現でパニック発作を出してしまう体質です。そういう病気持ちです。そういう表現を見た時、薬を飲んで寝ないと症状は治まりません。外でもパニック発作は出ます。自分にとって不快な表現は沢山あります。腹が立つこともあります。でも表現の規制を拡大解釈されることはとても危険だと思います。被害にあったシーンを「見ない」で記憶を消すと、日常生活に「変な部分」が出るんですよ。これは精神病の治療中に精神科の先生と話していて気付いたのですけど。だから「これが不快だ」と感じた人は何故不快なのか、自分と見つめ合って欲しいと思います。できればそういうのを人々がブログとかツイッターに書いたら、皆、互いが理解できるようになるのではないでしょうか。でも病人なので、個人が「見えなくする、ブラインド機能」を使うのも理解できます。ですが企業が一括削除・垢BANはないだろうと思います。

うどん:「私たちは消された展」写真と緊縛絵にそそられました。だからこそ、素朴に、人を揺さぶる創作物の発表の場がネット、現実の空間問わず奪われることを残念に思います。

坂井:表現物を消すということは、本当に消さなければならない理由があって、それ以外に手段がない時にしか許されないことだと思います。表現した結果の責任は、表現を仲介した人ではなく、表現した人が負うべきだからと考えるです。ネット上における私刑やポリティカルコレクトネスの広がりなど、もっと自由で寛容な社会であることを求める僕からすると、一方的にデジタルプラットフォーマーを責める気にもなれず、何とも言いようのないやるせなさを感じます。

司会:皆さんありがとうございました。4月6日には高円寺パンディットで「私たちは消された展1.2 〜センシティブなトークライブ〜」が開かれるそうです。今回の記事を読んで興味を持った方は是非足を運んでみてください。

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